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仏印俘虜収容所と芥川賞作家

『龍陵会戦』(古山高麗雄・文春文庫)に、1945年の仏印武力処理(明号作戦)のあと、日本軍がつくった俘虜収容所のことが書かれている。ここは確か本所、要するに本部みたいなところであり、ラオスの山中に分所があったことは古山が繰り返し書いている。

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「植物園の近くに在った。マルタンと呼ばれていたところだった」ともある。マルタンとはフランス植民地軍の兵営があったところで、古い地図では「マルタン兵営」と書かれていたりする。今で言うと、レユアン通りとグエンティミンカイ通りに挟まれて、大学があるところであろうと、思う。

ベトナムに住んでいた時分、近くに最初に部屋を借りたから、マルタン兵営だなあと思いながらうろうろした。植物園にも度々足を運んだ。サルの類に石を投げたりする客がいて、檻の中で怒り狂ったサルを見たような記憶がある。。

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古山のサイゴンに関する記述は、このマルタン兵営、植物園と、中央停車場、カチナ通り、郊外のチーホア刑務所、中央刑務所、探偵局、あとはショロン、カンホイ……そんなところだろうか。道端で湯を沸かしてコーヒーを供する店のことも書いていたかな。

サイゴンの古い写真を集めた本を、在住時代に購入したけれども、久し振りに、見てみたいと思う。自分の見たことのないものは、人の残してくれたものから、想像するしかないのだなあ。そういう残されたものというのは、ありがたい。

しかしこの映像は、本当に1945年なのだろうか。1分33秒のあたり、中央市場(ベンタン市場)周辺だと思うけれど、これは大南公司の市場前の店に近いのではないだろうか。

2分14秒のあたり、今はなき中央停車場(サイゴン駅)まである……4分25秒のあたり、バナナをたくさん天秤棒にかけて歩き出す女。「ひょくひょく」とその揺れる様を古山は書いたけれども、確かに在住時代、それを見て「ひょくひょく」が適切だと思ったのであったなあ。

7分35秒からは植物園である。しかしこの映像は、誰がどんな目的で撮影したのだろうか。


by tamaikoakihiro | 2014-09-13 18:49 | 作家 | Comments(0)

大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro