大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

病院の前

神戸に住んでいたのは、あの人工島ができて間もない頃だったと思うのだけれども、いろいろ周りにあるものが目新しく、それまで住んでいた埼玉の田舎に比べ先進的だった記憶がある。

自動改札を初めて見たのもあの島に行く新(!)交通システムの駅でのことだったなあ。やたらと新しく、1980年代なんて日本中だいたい同じだったとは考えるものの、あの島はキンキラキンに明るい感じたした。なんだかすべてが明るかった。

博覧会なんて賑々しいものもやっていたし、出向いた会場で迷子になったときのために書かされる紙に、父親が自宅の電話番号を書けなかったのも、軽い衝撃であった。
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(写真は内容に無関係。サイゴンにあった建物)

山を削ってその土で埋め立てた、というなんだか嘘っぽい由来の島は、夏になるとちゃんと蝉が鳴いた。島をつくるときの過程は、「北公園」という素っ気ない駅の近くにたつビルの上の階の展示室のようなところで、ミニチュアで再現してあった(と記憶する)。

蝉が鳴くのは、削ってきた山の土のなかに蝉の幼虫がいたからだろうと、誰かが言っていて、それを聞いて真に受けた。まあ実際がそうだったのだろう。

島を離れて10年後、大地震で韜晦した建物の群れをテレビで見て、現実離れしているから何とも感想も浮かばなかった。

たまにGoogleのストリートビューで見ると、あの人工島で過ごした数年間を思い出して、どうも焦るような懐かしさに駆られる。埼玉にはまったく懐かしさを覚えないから、何か特別な時間だったのかもしれないと思う。

といって再訪したとしても昔の知り合いなんて一人もいないのだが。ああそうだ、自宅に最寄りの駅は「市民病院前」という名前だったはずだけれども、今はもうそれが変わっているらしい。
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by tamaikoakihiro | 2014-07-13 19:21 | 雑感 | Comments(0)