大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

死の谷

ビルマ北部にフーコンという土地がある。行ったことはない。そこに取材に行った作家に同行した方から話を聞かせてもらったことはある。

フーコンとはカチン語で「死」を意味するらしい。そう『菊と龍』(相良良輔・光人社)には書いてある。

作家とは故人で芥川賞を受賞している古山高麗雄で、古山のことを調べると、止まらない。フーコン取材の折のことを書いた寄稿「私のフーコン旅行記」には、特務機関「西機関」の人とのつながりについて触れている。

取材の過程で知り合ったのだろうか。

西機関のことはよく知らない。宣撫工作のようなことをしていたのだろうか、と今は想像している。

そうだ、大川塾卒業生の中には、印緬国境で特殊工作に就いた人もいる。その種のことをした人に、直接お目に掛かる機会は得られなかったけれども、手記などで活動を想像した。

フーコンに話を戻す。悪疫瘴癘のこの地を貫いて輸送路をつくろうと、連合軍はしたそうだ。インド・アッサム州のレドを起点に、北ビルマのミートキーナを経てバーモへ、そそいて雲南省・昆明に通じる「レド公路」がそれだという。

レドからミートキーナまで500キロは軍用道路に、併行して油送管も敷設しようとしたということだ。

後方を重視するアメリカ式のやりかたであったらしい。

対して日本軍。インド・インパールを目指す作戦では、敵中に糧を求めよとし、「ジンギスカン作戦」とか言ったようだ。

物量の違いか、そもそも発想の違いか。

フーコンのことを読みながら、いろいろ考えてみる。

それにしても今日は雪だ。こういう多難な時期に受験をやるのも、何か日本人の心性に関係があるのだろうか。真夏のぶったおれそうな時期に甲子園をやるような?

いろいろわからないことが、多い。
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by tamaikoakihiro | 2014-02-08 14:24 | 作家 | Comments(0)