大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

ロシア大使館

麻布十番の駅を出て、麻布狸穴町の急な坂を登りロシア大使館の前に出た。朝早く、雨が降っていて、日曜日である。首に一眼レフをかけてあちこち見回している私を、警察官が不審げに見た。

しかし、まあいい。

目当てのビルは難なく見つかった。そのビルに、ある作家が編集専従で入った雑誌の編集室があった。目をこらしたら、いろいろとわかった。作家の相貌が、少し、見えた気がした。

a0153209_046239.jpg場所は飯倉の交差点に近かった。当然、東京タワーが近い。

自分でつくった課題を、早朝に達成できて、まずは気分がよかった。

でも「そんなことして、どうする、誰が理解を示すというのだ」と意味を問われたらどうしようか。

ロシア大使館が至近距離だったこともあり、学生の頃、気に入って読んだロシアの作家、レーミゾフ(パリで客死したのだったか)の作品で見つけた一節を思い出した。

――ただ見るために、ただ聞くために、ただ感じるために――

作品の名前は忘れた。正確でないかもしれないが、ある主人公が、人生の意味(大仰だが)を自らに問うてそんな解を見つけたのだったと記憶する。

自分のやることなすこと、説明をつける必要はないものの、迷ったり、怖れたり、何かあるときは、思い出す。

「人生は生きるに値しない」という言葉は、A・カミュが書いていたのだったか。

レーミゾフのそれにしても、カミュのそれにしても、そういうものが思い出せると、心強く感じる。

いろいろ「怖れ」はある。でも、どうなろうと、そもそもそれに「値」などないのだし、レーミゾフ流の「ただ――、ただ――、ただ――」の結果なのだなあ。そう考えれば、楽になる気がする。

そうだ、対象が何であれ「怖れ」は大事なのだろう。誰かが、「自分がもっとも怖れていることを書きなさい」と言うか、書くかしていたな。

あるいは、アメリカ式のスポーツ心理学の言い方をすれば、「不安があるほど、やる気が強い証」となろうか。だから「やってみなさいよ」ということか。

「そんなことして、どうする、誰が理解を示すというのだ」――そう思ったら、反対に考えて、やってみないとなあ。歩いて、見て、わかることが、やっぱりあるわけだし。

進まないことを抱えて、雨が降る夜、あれこれ思った。

でもあれだな、思ったことを書くのは、やっぱり難しい。向かないや。
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by tamaikoakihiro | 2013-08-27 00:04 | 作家 | Comments(0)