カンボジアでのこと
2011年 03月 28日
カンボジアに最初に行ったのは、1998年春。少し前に首都プノンペンで銃撃戦があったとかで、タイから飛行機で入国するとき、ずいぶんびくびくしていたものだ。
背の高いサトウヤシが立ち、赤い土の広がるカンボジアを機上から眺め、感動したのだった。
アンコールワットのある町で、数歳年上の男性で知り合った。そのとき1週間くらいを同じ宿で共に過ごしただけだったが、帰国後手紙やら電話やらでお付き合いがしばらくあった。
その後、連絡をとらなくなってしまった。ただ表情や話し方は今も思い出せる。
たった1週間だが、そうなのである。
60年以上前のことを、伺うとき、非常に鮮明に語って下さる方がいる。その方にとって、忘れようのない事柄だとさらにそうなる。
ある方は、泥色の大河の対岸が爆撃され、同期生の身を案じた時のことを悲しそうに、辛そうに語ってくれた。翌日渡河して四方に祈り、その場を去ったという。私は聞きながら、ビルマの大河の前で立ちつくす、その方の若い頃の姿を思い浮かべていた。
青春の記憶、というのだろうか。
我が身のカンボジア体験から、そのあたり、「何故に鮮明なのか」が少しわかる気がする。
背の高いサトウヤシが立ち、赤い土の広がるカンボジアを機上から眺め、感動したのだった。
アンコールワットのある町で、数歳年上の男性で知り合った。そのとき1週間くらいを同じ宿で共に過ごしただけだったが、帰国後手紙やら電話やらでお付き合いがしばらくあった。
その後、連絡をとらなくなってしまった。ただ表情や話し方は今も思い出せる。
たった1週間だが、そうなのである。
60年以上前のことを、伺うとき、非常に鮮明に語って下さる方がいる。その方にとって、忘れようのない事柄だとさらにそうなる。
ある方は、泥色の大河の対岸が爆撃され、同期生の身を案じた時のことを悲しそうに、辛そうに語ってくれた。翌日渡河して四方に祈り、その場を去ったという。私は聞きながら、ビルマの大河の前で立ちつくす、その方の若い頃の姿を思い浮かべていた。
青春の記憶、というのだろうか。
我が身のカンボジア体験から、そのあたり、「何故に鮮明なのか」が少しわかる気がする。
by tamaikoakihiro
| 2011-03-28 07:01
| 雑感
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