大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

大川周明、徳川義親、国家改造運動

大川塾のことを調べていると「最後の殿様」にして、徳川林政史研究所創設者の徳川義親侯爵のことを知ることになる。

彼は福井藩・松平春嶽(最近の大河ドラマに出ているそうだ)の子として生まれた。尾張徳川家の養子となり、19代当主となった彼だが、昭和の国家改造運動に侯爵という特権階級ながら、その階級打倒を訴える勢力と共闘し、資金を提供した何とも奇特な人物である。

その彼が、『革命は藝術なり』という中野雅夫の書物の中で、このような言葉を残している。

「社会主義も右翼民族主義も、腐敗した国家、困窮せる国民の現状を憂えて、改革にのり出す。道は違うが改革の頂上をめざす点では同じである。どちらも志士仁人である。普通の人間に出来ることではない。その人たちが虐待され、困窮しているときに、いささかでも援助するのは人間の道ではないのか。国家改革について、右とか左とかの区別はぼくの眼中にない」(徳川義親)

戦後は左右の別で歴史的事件、事項が取り扱われた。国家改造運動などは、右のこととされたようだ。

しかし当人たちに、そんな意識は希薄だったのだろう。

同書には大川周明の言葉も引かれている。

「世間ではぼくのことを右翼という。だが共産主義を左翼とすれば、右翼は資本主義であり、これを擁護せんとするものも右翼である。だがぼくはその資本主義者と支持者を打倒し、金銭が人間を支配する社会悪を一掃せんとしている。ただいわゆる共産主義や社会主義者とちがうのは、あくまでわが民族に立脚していて、マルクスやレーニンの奴隷にならないことである」

右左の問題など、実は問題ではなかったのだ。
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by tamaikoakihiro | 2010-09-08 12:35 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)