大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

3月9日、フランス領インドシナと東京大空襲

3月に入ると、毎年思い出すことがある。

「明号作戦」である。正確には私自身が経験したわけではないから、「想像する」といった方がいいのだろう。

1945年3月9日、仏領インドシナにあった日本軍は、フランスの植民地政府を解体した。これにより現在のベトナム、カンボジア、ラオスの3国が、形式上のことかもしれないが、独立した。

この一連の軍事行動を「明号作戦」という。これは日本軍が使った秘匿号である。

当時の現地軍司令官の回想では、準備段階では「マ号作戦」などと呼ばれていたようだ。

話が脇道に逸れた。なぜ私がこの作戦を想像するのか。

それは一兵士として、ベトナム人の協働を促す特殊工作隊のメンバーとして、または一学生として、現地にいた人の話をじかに聞いたり、読んだりしているからだろう。

「それまで安南人(ベトナム人の植民地時代の旧称)はフランスに支配されていた。それを一晩の作戦で覆してしまった。安南人はわーっとなりましたよね」

戦後はベトナムに残留し、数奇な運命を刻んだ、ある老人は、かつて私にそう話してくれた。

「親日勢力をもとに傀儡の独立国をつくっただけではないか」

先述のように、そんな見方はもちろんある。それは否定できないものだろう。

しかし既存の支配体制を明白に破壊した点で、一つの歴史の転換点だったのだろうとも思う。

そして夜半、息を潜めてフランス植民地軍の兵営近くにあったという、ある人の回顧談を思い出す。

生きるか死ぬか、青春のただなかで経験したことを、その人は、じつにわかりやすく、戦後生まれの私に話してくれた。それがありがたかった。

私は経験していないのだから。

そういえば芥川賞作家の古山高麗雄は「今夜、死ぬ」という短編で、カンボジア・プノンペンで明号作戦に参加した折のことを書いている。やはり若くして死に直面するときの気持ちを、テンポの良い語りで表現している。

奇しくも日本軍が軍事行動を起こしたのと同じ頃(3月10日未明)、東京は下町を中心に米軍の大規模無差別爆撃にさらされた。

そんなこともまた、思う。
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by tamaikoakihiro | 2010-03-26 22:26 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)